2010年01月22日

富山港線昔話

岩瀬浜.jpg
JR西日本として廃止間際の富山港線岩瀬浜からの乗車券です。
といっても、富山港線の駅は全て無人化されていましたので(除:協競艇場前)
発行は富山駅#になってますが。

交流電化の北陸地区で、七尾線(91'電化)と並んで直流電化だった富山港線を
初めて知ったのは確か旧型国電置き換えの時でした。
親に毎月買ってもらってた「鉄道ファン」誌で京浜東北線に似た列車
(青22号の73系のこと)がなくなる記事を読んだときだと思うので
おそらく1985年のことになるかと思います。
その代替車両として413系?が紹介されてました。子どもだった私には
交流と直流の違いなど当然分からず、青い列車が無くなったのが
悲しかったことだけを覚えています。
旧国の都合もあるんでしょうが、4扉を2扉で置き換えるのは時代ですね。

買収国電によって、電化方式が飛び地のように異なる事例は他に
仙石線もありましたが、こちらは旧型国電をそのまま103系中古車で
置き換えてますが、これは規模の違いなんでしょう。
さすがに、仙石線の旧型国電などは私は知らず、ただ埼京線開業前後に
乗車した川越線の103系(仙石線旧国アコモ車の車体流用)を見て
取っ手が付いていることに喜んだ覚えだけがあります。

仙台と比べれば規模が小さいのは当然といえば当然で、交直流電車が
余るようになっていた時期だけに、本線系統と共通の車両で置き換えが
それでも結局のところ富山港線はこの頃には都市内路線としての
役割はほとんど終わってたのかなという気がします。
2006年当時の運用は、475系と高山線向けのキハ120でした。
ほとんど設備投資されず、新車も経費節減のためのディーゼルと
いう解釈でいいかと思います。

ライトレール化によってそれなりの成功を収めた現状を考えると
この判断は正しかったんだなと思うばかりです。
同時期に西からLRT化を提案された吉備線の現状ってどうなんでしょうね。
posted by 常緑樹 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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