2011年04月20日

大阪市交通局の乗継乗車票

ご無沙汰しています。
転職など個人的にも、また震災など社会的にも色々とあった
ここ数ヶ月間、ほとんど更新ができないままで申し訳ありませんでした。
(また、震災で被害に見舞われた皆様にはお見舞い申し上げます)。
気を取り直して、またブログ更新を続けさせていただければと存じます。

さて、リンクを張らせて頂いている「きっぷと旅な日々」さんの先日の
記事で、大阪市交通局の乗り継ぎ精算券についての記事がありました。
私自身は現行券を所持していないため、このような様式なのかと
感心するばかりでしたが、大阪には旅行や出張で行く程度の
自分は、自動化券の存在すら実ははじめて知りました。

ちょうどいい機会だと思いますので以前から紹介しようと思っていた、
少し前の補充券様式の大阪市交通局の乗継乗車票をご紹介します。
ちょっと前に、実家から出てそのままにしていました。
大阪市交通局乗り継ぎ乗車票.jpg

大阪市交通局の場合には西梅田、梅田、東梅田の各駅間で改札外
乗り換えが認められているため、乗換駅の時点で料金不足の
乗客に対して、このような乗継乗車票が発行されていました。
定期券の倍ほどの大きさのある紙面に、地下鉄およびニュートラムの
路線図が描かれています。「地図式だしわかればいい」ということなのか
九条駅と谷町九丁目駅がともに「九」の一文字で描かれている
などの特徴があります。
発行駅は西梅田ですが、発行駅名などはこのスタンプ以外にはないため
梅田及び東梅田でもまったく同一の用紙が使われていたのかと推測できます。
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2010年12月30日

箱根登山鉄道の株主優待券(上場廃止前)

箱根登山優待.jpg
年末恒例の実家大掃除に参加してきました。
あまり面白いものは発掘されませんでしたが、とある缶を開けてみると
…その中身が高校生-大学生初期の頃の使用済みの乗車券類でした。
(当時は、切符収集は基本的に止めていた時期でした)

以前書いた記憶がありますが、私は湘南地方のとある高校を出ています。
当時の神奈川県は、公立高校は学区制がありましたが私立だった私の高校は
横浜市と湘南および三浦方面からの学生が集まっており、中には川崎や小田原から
通学してくる同級生もいました。
小田原から通っていた友人は、祖父から貰った?箱根登山鉄道の株式を保有しており、
送られてくる優待券をヲタな同級生(=私)が毎年一枚ずつ戴きました。
この年はピンクですが、次の年(平成11年)は黄緑色、使ってしまいましたが
灰色だった年もあったかと記憶しています。
奴いわく「優待券は貰えるけど、もう何年も無配なんだよ〜」
嘆いていたのを思い出します。

箱根登山鉄道は2003年に株式交換により小田急電鉄の完全子会社に移行し
上場廃止、その後持株会社の「小田急箱根ホールディングス」とされ(※1)たため、
現在ではこのような優待券は発行されていません。

ということは、もしや彼は配当のある小田急電鉄の株主になれたのでしょうか?

(※1)現在ある、「箱根登山鉄道株式会社」「小田急箱根ホールディングス」
事業会社になります。
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2010年03月02日

北アルプス

北アルプス特急券.jpg
劣化が激しく申し訳ありませんが、いまは亡き北アルプス号の
名鉄線内完結特急券です。
発行日を見る限り、廃止3週間前に乗車したようです。
この年は、贔屓にしている球団(セリーグの鉄道系)の調子が比較的
良かった(いつも最下位だったのが4位)こともあり、悪友と2人で
甲子園のみならず富山アルペン、札幌ドーム、倉敷マスカットなどへ
18切符全国ツアーを行ってました。大学生だったからできる暴挙で、
この時もナゴヤドーム2連戦の間に乗車したものです。

名鉄では、北アルプスの扱いを自社線内の特急より一段上に置いていた
ようで、普通乗車券以外の乗車券での乗車を一切認めていませんでした。
「北アルプス号特急券」となっているのはこの区別のためでしょうか。
新名古屋から犬山まで、最初で最後のキハ8500乗車となりました。
その後、この車両は福島県の会津鉄道に譲渡され、3年後に一度、
会津出身の知人の出身地に遊びに行った際に会津田島から湯野上温泉
まで乗車する機会があり、そこで再度乗車する機会を得ました。

ここのところあまり3セク情報をチェックしてませんでした。
先日、いつもの書店でふとRF誌を斜め読みしていたところ、
会津鉄道のキハ8500は今年春を持って引退とのことです。
乗りにいきたい気もしますが、時間的にちょっと難しいかもしれません。
はまかぜの記事で葬式鉄に思うところをぶつけましたが、自己中ながら
乗りたいものは乗りたいですね。静かに見送りましょうということで。
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2010年01月22日

富山港線昔話

岩瀬浜.jpg
JR西日本として廃止間際の富山港線岩瀬浜からの乗車券です。
といっても、富山港線の駅は全て無人化されていましたので(除:協競艇場前)
発行は富山駅#になってますが。

交流電化の北陸地区で、七尾線(91'電化)と並んで直流電化だった富山港線を
初めて知ったのは確か旧型国電置き換えの時でした。
親に毎月買ってもらってた「鉄道ファン」誌で京浜東北線に似た列車
(青22号の73系のこと)がなくなる記事を読んだときだと思うので
おそらく1985年のことになるかと思います。
その代替車両として413系?が紹介されてました。子どもだった私には
交流と直流の違いなど当然分からず、青い列車が無くなったのが
悲しかったことだけを覚えています。
旧国の都合もあるんでしょうが、4扉を2扉で置き換えるのは時代ですね。

買収国電によって、電化方式が飛び地のように異なる事例は他に
仙石線もありましたが、こちらは旧型国電をそのまま103系中古車で
置き換えてますが、これは規模の違いなんでしょう。
さすがに、仙石線の旧型国電などは私は知らず、ただ埼京線開業前後に
乗車した川越線の103系(仙石線旧国アコモ車の車体流用)を見て
取っ手が付いていることに喜んだ覚えだけがあります。

仙台と比べれば規模が小さいのは当然といえば当然で、交直流電車が
余るようになっていた時期だけに、本線系統と共通の車両で置き換えが
それでも結局のところ富山港線はこの頃には都市内路線としての
役割はほとんど終わってたのかなという気がします。
2006年当時の運用は、475系と高山線向けのキハ120でした。
ほとんど設備投資されず、新車も経費節減のためのディーゼルと
いう解釈でいいかと思います。

ライトレール化によってそれなりの成功を収めた現状を考えると
この判断は正しかったんだなと思うばかりです。
同時期に西からLRT化を提案された吉備線の現状ってどうなんでしょうね。
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2008年06月25日

幌加内駅発行の赤い18きっぷ

940801horokanai18.jpg
常備券というよりは過去帳カテゴリに入れておきます。
5枚つづりの18切符も、深名線も既に過去帳入りして久しいですし。

積極的に解析ツールを入れる予定はありませんが、Seesaaのアクセス解析は
時々目を通してます。
ここ数日、検索エンジン等から「赤い18きっぷ」等の検索で
来られている方が目立つようになりました。
もうそんな時期が近づいているのか、という実感です。
折角来て頂いても、ロクにその手の情報提供をしていなくてすみません。。。

今期からは、米原や大阪周辺での販売がなくなることから、どこで購入しようか
迷っている方等も多くいるのではないかと検索ワード見る限りで思います。
草津線や奈良線、加古川線の各駅では恐らく今年も発売されると思いますが
正直どんな感じになりそうなのか予測出来ない感じです。

むしろどうしても欲しい方は、今のうちに通販をやってくれる
JR西日本いくつかの駅に問い合わせた方がいいのではないかという気がしています。
宗谷北線のHPはなくなった模様で、今期常備券通販をやるかは私は確認してません。
通販がはじめての方もいらっしゃるでしょうが応援します。頑張って下さい。
代金送付は、あちら様が受け取りやすい現金書留がマナーかと思ってます。
もちろん郵送料がその分かかりますけど、そこら辺は趣味人の余裕で。
(妙に説教臭くてすみません。ちょっと思うところがありまして)
なお私個人は、買えなきゃマルス券でいいや位のつもりで、7月上旬に四国をと画策中です。
(MV35とか感熱POSとか5489とか、他にも気になるものが沢山ありますし)

ということで、今日の記事では赤い18きっぷを紹介します。
廃線1年前の1994年に深名線幌加内駅で購入した18切符です。
まだ5枚1組の頃で、各駅でスタンパーを押して頂く事が出来ました。
発行元が、「深川駅○出」となっている上から駅名小印が押された上で
幌加内駅とされていることから、枚数が終わって融通されたものかと思われます。

この時は、稚内方面からの帰りに夕方の名寄発深川行きの通し列車に乗って、
途中から無人&漆黒の闇の中をただただ走り続けました。
この翌年に廃線フィーバーとなってしまったためなんとなく再訪せず
車窓風景を結局全線は見られなかったのが今となっては残念です。追記
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2008年06月03日

北海道ニューワイド周流券(2)

930816hokkaidonewwide.jpg
昨日に続いて、北海道ニューワイド周遊券です。
こちらは帰りのY券片です。

D券片と同様に学割ですが、こちらは一般用の券片に
「北海道ニューワイド」と記入の上、学割印章が押されています。
発行日も平成になっており、こちらはそれなりの枚数が出ていたものと
考えられます。
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2008年06月02日

北海道ニューワイド周遊券(1)

930801hokkaidonewwide.jpg
平成5年(1993年)発行の、北海道ニューワイド周遊券の学割常備券です。
発行元は、一般周遊券と同じ東急観光藤沢支店です。

ニューワイドの学割常備券は意外と珍しいものなのかもしれません。
ちょっと気になってぐぐってみたのですが、画像検索では発見できませんでした。
気になったのは、平成5年にもかかわらず昭和の発行になっている上、
券番が0193な点でした。
JR地紋なので、昭和62年の後半から昭和63年にかけて刷られたと考えられます。
年間40枚程度しかさばけなかったのでしょうか。

これを買ったのは中学生の頃、この切符を糧に札幌から稚内、トマム、
その他道内各地へと出かけて回った記憶があります。
5月5日の記事で書いた北斗星の立席利用もこの時ですね。
ちなみに、往路のX券片は車内改札でもぎり取られました。
今考えてももったいなかったなーと。
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2008年05月26日

一般周遊券

東急観光の思い出話です。
いまだ記事投稿無しの補充券カテに入れようかとも考えましたが
「一般周遊券」というタイトルで書くのであれば過去帳ですな。

昨日の記事で、東急観光とテコプラザが関係ない企業だという話を書きました。
かつてより大手旅行代理店として知られてきた東急観光は、2004年に
東急グループから実質身売り、2006年には会社名も「トップツアー」としています。
東急グループの業績悪化とそれに伴う会社整理は、交通系だと日本エアシステム株の
日本航空への売却等がありましたが、東急観光もそんな一環だったかと思います。

トップツアーとなった後は、
投資ファンドのアクティブ・インベストメント・パートナーズ系列下にありましたが、
現在ではみずほ系のポラリス・プリンシパル・ファイナンス傘下にあります。
東急電鉄の駅からはほぼ撤退、従来の店舗もすでに殆ど閉鎖されています。
とはいえ、職場の近くに店舗があるので一度行ってみたいと前々から
思っているのですが、なかなか機会がありません。
来月の大阪行きでここのパックを使おうかと考えてみたのですが、結局飛行機の予定です。

話を東急観光に戻します。
中高生の頃、今は亡きここの藤沢支店にお世話になってました。
一度北海道ニューワイドを作ってもらったことがあって、その縁で
なんやかんやと面倒なものも発券して貰えるここの常連でした。
普通の切符もここで買ってましたが、ヲタ発券をして下さった事は今でも感謝してます。

950823ippansyuyuken.jpg画像は、ここで発行してもらった一般周遊券です。
このときは、ワイド・ミニ周遊券まで廃止されるとは思っておらず、
ただ、「一般周遊券は危ないかも」という話をどこかから聞いて
一度作っておこうかとしたんだったと思います。

詳しい発券条件は他のサイトさんに一任しますが、ルートは周遊指定地さえ回れば自由に設定でき、
一般だと1割引、学割だと3割引になりました。

950823ippansyuyuken2.jpg周遊地へ行くためのバス券には、画像のような出札補充券が用いられてました。
事由欄は「周遊乗車券」です。
この時代にはまだ三島会社のバス部門は分離されて
いなかったため、船車券じゃなかったのか、それともJRバス東北等であっても
この様式を用いていたのかは自分には分かりませんが。
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2008年05月13日

奥羽南線が元気だった頃

931228yuzawa_tachiseki.jpg
思い出帳更新です。
平成4年(1992年)奥羽本線湯沢駅発行の、あけぼの号立席特急券です。
恐らくM型端末発行、立席は11号車(先頭)が割り当てられてました。


1990年から1997年まで、あけぼの号は陸羽東線・奥羽本線経由で運転されてました。
この時代は、快速きたかみも急行津軽も特急こまくさも健在でした。
普通列車もまだ50系で、早朝には後部に折り返し快速おものがわとなる編成を
引き連れた新庄行きが10両編成で湯沢駅に入線・切り離しする光景すらありました。

先日、某巨大掲示板のKaeruくんに関するスレッドで「見放された例」
として湯沢が取り上げられていました。内心忸怩たる思いで見てましたが、事実でしょう。
今回、この切符を引っ張り出したのもそんな機会があったからです。

私事ですが秋田県南部に親族がおり、湯沢は20年以上にわたって付き合いがあります。
今でも、冠婚葬祭等があれば行くので、それなりに足を運んでます。
感覚的には、一種の定点観測のようなことができる都市です。
以前、青森アウガを例に地方都市の中心市街地活性化の話をしましたが、
「衰退する中心市街地」という話を聞く度に頭をよぎるのはこの町です。
百貨店と駅前通にあった大型店は倒産し、ジャスコも撤退しました。

まちの衰退と鉄道の衰退は、必ずしもイコールではありません。
横手市のように、大型店集積に成功しながら鉄道は「見放された」奥羽南線、
大仙市(大曲)は、まちは死んでますが秋田新幹線効果は絶大です。

湯沢というか、奥羽南線の場合秋田県にとってはエポックメーキング的な
意味を持っていた秋田新幹線開業が、県南の鉄道事業にとどめを刺しました。
現在の奥羽南線は、秋田県の視点では大曲〜湯沢のローカル線、
山形新幹線視点で新庄〜湯沢のフィーダー路線といったところでしょう。

あけぼのに乗ったこの年は、奥羽南線が急速に変わる直前でした。
翌1993年には、急行津軽季節化、701系投入によるローカル効率化が始まり、
5年後の秋田新幹線新幹線開業による事実上の「切捨て」へと進みます。
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2008年05月05日

北斗星3号 ヒルネ

一応ここまで各社の切符を紹介してきましたが、JR北海道はまだでした。
札幌にいたこともあり、北海道発行の切符はある程度持っています。
ただ、北海道に行く理由がなくなってしまって久しく、
2003年を最後に足を運んでいないため、あっても古いものになります。
道内未乗の石北本線と川湯温泉以北の釧網線でも乗りに行きたいと
考えてはいますが、いまいち食指が動かないというか…

学生証番号スタンプを押印された函館駅発行の乗車券(2003)とか、
紹介したいものは実家のどっかにあるので、そのうち探してみます。

本日の一枚
930802hokutosei.jpg

印刷発行機っていつまであったんでしょう?
時期的には、最末期の1枚になるのではないかと思います。
北海道ニューワイド周遊券を持ってましたが、周遊券では
ヒルネへの乗車は認められていなかったため別途購入しました。
購入時刻が朝の4:30頃だったため、マルス稼動時間前(当時)の函館駅では
このような体裁の立席特急券を発行していたものだと思われます。

札幌までの特急券を駅名小印で変更、苫小牧の文字と列車名・発車時刻は手書き、
「11号車にお乗りください」「禁煙席」のスタンプが押されており、
かなり個性的な1枚になっています。

この切符をアップしようとしてふと気付いたのですが、苫小牧と札幌の
料金帯って一緒だったっけかなと。
調べてみたところ、1993年の時点だと函館本線(山線)と室蘭線の
経路特定区間が残っており、この時期だとどちらも300キロ帯に
収まっていたんですね。
翌年以降、どうなったのか気になるところです。
(POS化されていてもおかしくない時期ですし)

北斗星のヒルネ自体、今年3月の改正で最後になってしまいました。。。
九州特急も風前の灯の今、最後の牙城は「あけぼの」「日本海」だけですね。。。
posted by 常緑樹 at 13:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 過去帳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする